もの書きのてびき聞く

武田俊インタビュー「憧れと没入のあいだで
」

あの人に聞いてみたい、「書く」ことの話。今回は、インディペンデントエディターとして、媒体にとらわれない活躍を続ける武田俊さんにお話を伺いました。

Interview, Text:丸山 るい / Photo:岡庭 璃子

武田 俊

1986年、名古屋市生まれ。大学在学中に、編集者・ライターとして活動を始める。2011年、代表としてメディアプロダクション・KAI-YOU,LLC.を設立。「KAI-YOU.net」の立ち上げ・運営を手がける。2014年シティカルチャーガイド『TOmagazine』のweb版となる「TOweb」を立ち上げる。現在ライフスタイルメディア「ROOMIE」と、Instagram Storiesメディア「lute」の編集長を兼任中。右投右打。

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他者のテキストに刺激を受ける

 今は複数のデジタルメディアで編集長をしていて、自分の原稿を書く時間はめっきり減ってしまいました。オフィスにいると常に誰かと話すことになるから、執筆は決まって真夜中の自宅です。重い腰を上げるコツは、書こうとしているフォーマットに近い他人のテキストを読むこと。エッセイの依頼ならエッセイ、書評原稿なら書評を読むという感じです。とくに昭和を生きた文豪たちのものは、奮い立たされます。仕事柄、膨大な情報に触れている分、情報ではなく「作品」も主体的にインプットしています。そうしないと、自分自身がつらくなっちゃうので。

 僕は、物欲が本くらいしかないんです。といっても、初版本や古典籍をあつめるタイプの蒐集家ではぜんぜんないんですけど。ほしい本であれば、古本で多少値が張っても買ってしまいます。うちはお小遣いにシビアな家庭だったんですが、かわりに本だけは欲しいものを与えられて。子どもの頃からひたすら本屋に通っていました。今も昔も変わらない習慣です。

 電子書籍と紙の本は、明確に使い分けていますね。主に、ビジネス書、新書、話題書などの、「作品」というより「情報」として認識している本はすべてKindleです。あとは巻数の多い漫画かな。最近は、50巻くらい出ている、みなもと太郎さんの『風雲児たち』をKindleで読んでいます。幕末を描くために関ヶ原の時代からはじめるっていう壮大な話で、すごくおもしろいですよ。

インスピレーションは、本の背表紙から

 紙で買うのは、家の本棚に“背表紙として必要な本”。僕はけっこう視覚でとらえるタイプの脳みそで、企画やアイデアを考えるときに、背表紙の配列や組み合わせからヒントを得ることが多いんです。そこで、木工職人の友人に特注して「常に背表紙が見える本棚」をつくってもらいました。階段状に本を配置することで、2段置きにしても奥の方の背がある程度は見える設計です。これを3台つくって、壁一面を本棚にしています。

 そういう意味では、ジュンク堂みたいな、文脈棚ではない大型書店を目的なく歩くことも僕にとっては超重要です。各フロアを順番にまわって背表紙を眺めながら「うちの本棚に必要だ!」と感じた本を、棚から1cmだけ引き出すんです。それからまた、店内を回遊する。2周目に自分が引いた本をチェックして、3周目に必要なものだけをごそっとレジへ。もちろん、買わない本はそっと戻します(笑)。「ここのゾーン、自分の棚にはないぞ」と思うと足したくなる。本を買うというより、書店の棚を自分のストレージに移動させてるような感覚なんです。

書いた文章に、誰かが反応するということ

 昨年『GATEWAY 2016 01』に寄稿したテキストは、発行人兼アートディレクターの米山菜津子さんが、僕のあるツイートに反応して連絡をくれたのがきっかけでした。知り合いの編集者を通じて「このツイートを見て雑誌をつくろうと思いました。創刊号の最後に引用してもいいですか?」と伝えてくれたんです。ちょうどKAI-YOUを辞めたばかりのやや不安定な時期で、SNSなどに文章を書き飛ばしていたときでした。米山さんは素晴らしいデザイナーですが、当時は面識もなく、お仕事でご一緒する気配もまだなかった。そういうまったく違うクラスタの方が、自分の書いた文章にビビッドに反応してくれたのが印象的で「あ、書けばいいんだ」と自然に思えたんです。その後、2号目が出るときにあらためて依頼をしてくれて「歌の在りかは消せはしない」という原稿を書きました。感情がぶっ壊れそうになりながら書いた、2016年に発表した中でもとても大切なテキストです。

 今ではSNSにあまり個人的な感情を書かなくなりましたが、その分、外に向けた日記やコラムは続けていきたいなって思っています。とくにコラムは書いていると調子がいいんです。自分の感情の揺れ方や、それに対する他人の反応を確認できて。文章を記述して他者に見せることの原始的な機能ですが、すごく重要なことだとあらためて感じています。

※「なんだかすべて忘れてしまうから、どうかどうか覚えていたい。スーパーの菓子売り場で見つけたなつかしさとか、人の家のコーヒーの味、ずっと片方だけない好きなくつ下。日常は些末なことの集積でできているからかわいくて、そのログをすべてとっておけたらいいのに。君の誕生日を覚えられない。」@stakeda 2014.11.19

自分の日記も、他人の日記も、面白い

 最近は、寝る前に「3年日記」をつけています。レイアウトがまたよくて、1ページが1日の3年分。つまり、2017年・18年・19年の8月3日がひとつのページに並ぶ。だから、「去年はこの日が“冷やし中華はじめました”だったんだ」とか、「この時めちゃくちゃ落ち込んでたな。でも翌年はいいことあるよ」とかが、ぱっとわかる。日記をつけはじめて気づいたのは、一週間前の出来事でも感情までは意外と覚えていないということ。例えば、あるパーティに行ったことを、後日「たくさんの人に会えてすごく楽しかった」と話してたようなんですが、家に帰ってその日の記述を見ると「名刺交換ばっかりで、パーティはもうイヤ!」とあって愕然としたり(笑)。人にはポジティブな情報を伝えたいから「楽しかった」話に自然となるけど、日記には自分の本音が書いてある。そういうのが面白いですね。

 人の日記を読むのも大好きです。最近読んだ中でのおすすめは、西村賢太さんの日記エッセイ。5冊くらい出てるんですけど、基本的には内容があまり変わらない(笑)。担当編集者を呼び出して焼肉をおごってもらい、風俗に行って、家で宝焼酎を飲んで、カップヌードルカレー味を食べて寝る…それが短い時は1日数行分くらいずつ書いてあるだけなんですが、読むとなぜかものすごく元気がでる。嫌いな人のことはボロカスに書くけど、好きな人に会えた感動も無邪気に表現しているのが、とてもいいんです。あ、これが生活だな、と。

いつだって最適化に憧れている

 今の「書く」ツールは、もっぱら、Amazon Basicsのイエローです。これに、ばーっと書いて、ぴって切って、スマホで撮ってクラウドに同期しておく。学生の頃からいろんなノートを試してきて、「雑に使える紙は大事」って結論に達したんです。いいノートだときれいに書きたくなるし、丁寧につくられているから雑なフラッシュアイデアを書けなくなっちゃう。でも、それだと本末転倒なので。企画書をつくるときも、これにざっくりラフを書いて、スタッフにスライドに起こしてもらいます。けど、また最近少し変わってきていて、なんでもすぐメモがとれる点を重視して、コクヨの測量野帳もポケットに入れています。1959年に測量士のために開発された商品で、表紙が厚手なのでどこでもメモがとれるんです。

 ペンは、ジェットストリームからLAMYまでいろいろ使ってるんですけど、まだ決定版がありません。本当は、合理性に欠けても、このブランドのデザインや思想が好きだからって基準で選べればいいんですけど、「はやく書けたほうがいいじゃん」とか思ってしまって。今のお気に入りは、友達のバンドがツアーをしたときのグッズのボールペン。原価50円もしないと思うんだけど、すごく書きやすい。ちょっと滑るような書き味が好きなんです。あと、ステッドラーの油性クレヨンみたいなマーカーは、質感が好きで持っています。

 文房具にかぎらず、いつまでも「もっと自分に適したものがあるんじゃないか」って、気持ちが消えない。たぶん、最適化に憧れているんです。友達のTo Do管理の方法とかにも、すぐに影響されちゃう。それは、ひとつの組織に属さない働き方を続けているからかもしれないし、単純にアップデートが好きだからかもしれないです。

没入できるエディタを探して

 実は、Wordがあまり好きじゃないんです。たぶん、できることが多すぎるんでしょうね。ただ、編集者という仕事柄、校閲機能をかならず使うのと、互換性の関係もあって使っています。チーム内でのやりとりは基本的に、Google Driveのドキュメント・スプレッドシート・スライドの3点セット。あとは、その時々のプロジェクトに応じてですね。とにかく世の中にはアプリケーションの数が多すぎるので、どんどん試します。自分たちに最適なものはどれかなって。

 一貫して言えるのは、思考の流れを遮断せずに文字に起こせる「没入のエディタ」を探しているということ。フルスクリーンで音楽も流れて…とかになると、「壮大な叙事詩を書くわけでもないし」って僕の場合は興ざめしちゃう。そういう点では、ミニマルで余計な情報がないstoneは、書き手としての自分にはうってつけです。あくまで今の時点では、ですけど。

 少しずつ書く仕事にも復帰したいと思っていて、まもなくはじまる新連載の第1回目も、まさにstoneで書き上げました。しいて希望を言うなら、僕はまずタイトルを大きく書いて原稿の「よーい、どん」を切るので、見出し機能があるとうれしいですね。

 タイトルから考えるのは、たぶん短歌をやっていたときの癖です。「この575、超決まってる!」「77はこれが完璧!」みたいな感じで、上句と下句をEvernoteにストックしていたんです。本当は一連でつくるのがいいんですけど、出会わないはずのものが出会う、いわゆる二物衝撃のテスト用でした。あとは、個人的な思いつきをGoogle keepでカテゴリごとにメモしたり、好きな本のタイトルをまとめて、たまに見返したりもしています。

「書く」ことを楽しもう、草野球みたいに

 僕は、20歳くらいの頃に、商業誌でのインタビュー取材などのいわゆるライター仕事からキャリアをスタートさせました。商業原稿、なんて言い方もありますが、それはもうある種の技術で、知的操作と言ってもいいと思います。でもある時、仕事をくれていた編集者の先輩に「君は自分の文章を書いた方がいいから、もうインタビューの仕事をふるのはやめるね」って言われたんです。とても信頼している先輩から自分の文章を書けと言われて、戸惑いつつもうれしかったのを覚えています。

 たぶん、僕が憧れているのは、小説しかり、短歌しかり、技術だけで高度化しきれないジャンルなんでしょう。生き様がすべて出てしまうような。書き手の国籍や性別、ジャンルに関わりなく、一貫して惹かれるものが確かにあって。それをたぐりよせて、その軸の最突端の書き手になりたいという気持ちが、どこかにあります。ただ、自分にとってのその最適な表現形式がなにかというと、まだ定まっていない。文房具やエディタと同様、ずっと探し続けている感じです。

 ありがたいことに「小説を書きなさい」と言ってくれる方もいるんですが、僕にとっては一番恐れ多いジャンルです。リスペクトが強すぎるのかもしれない。ただ、べつに新人賞を狙う人だけが小説を書く必要はないとも思っています。それこそ草野球をするみたいに楽しんだっていい。だって“草カメラマン”はいくらでもいて、そのひとつがインスタグラマーだったりするじゃないですか。考えをかたちにしたり、知り合いと見せ合っておもしろがったり、楽しみで文章を書くことがもっと増えてもいいのになって感じています。

BOOK SELECTION武田俊さんが最近おすすめする5冊

『アレハンドロ・ホドロフスキー/マスターコレクション』著:アレハンドロ・ホドロフスキー、マリアンヌ・コスタ / 訳:黒岩 卓 / 監修:伊泉龍一 / 解説:滝本 誠(国書刊行会)

「最も好きな映画監督のひとりでもあるホドロフスキーが書いたタロット本。彼がデザインしたタロットカードとセットになった限定版です。タロットは、テクノロジーが発展する以前の世界を解釈するための技術だと思っています。各カードの説明がホドロフスキー自身のエッセイになっていたりして、最高なんですよ。」

『遙かなる他者のためのデザイン ─久保田晃弘の思索と実装』久保田晃弘(ビー・エヌ・エヌ新社)

「最近、課題解決型のプロジェクトや、効率性を高める合理的なデザインや編集が増えました。でもそれは、人間と現在を世界の中心に置いた場合の最適解しか生み出せない。そんな視点から描かれた、デザインの試論集です。作品とツール、デザインとアート、などいろんな狭間を考えたくて手にしたんですが、これを読んでデザイナーと話すのがより楽しくなりました。」

『鬱屈精神科医、お祓いを試みる』春日武彦(太田出版)

「精神科医が自分のトラウマを克服するために、両親の遺産であるマンションをフルリノベ=お祓いして住むという私小説的なエッセイ。自分の脳の心地よさに最適化したUXを家の内側にだけ施すものとしてリノベーションをとらえると、俄然興味がわいてきます。」

『茄子の輝き』滝口悠生(新潮社)

「今、無為にされがちな私小説的な文章の尊さを、作品に溶け込ませている短編集です。小さな会社でお茶汲み当番表をつくるだけの話が、たまらなくよかったり。リズムも独特で、くすっとさせられる人の仕草などのユーモアもある。キャラクターが作中でしっかりと人生を生きているということはどういうことか、あらためて考えるきっかけになりました。」

『青の歴史』著:ミシェル・パストゥロー / 訳:松村恵理・松村 剛(筑摩書房)

「紋章学の研究者による、青色の人類史。僕自身、青が好きで、なんでだろうと理由を考えていたときに出会った本です。古代には野蛮であり神聖な色として認識されていた青が、王家の紋章に使われて高貴な色に変わっていき、顔料としての流通を経てジーンズにまでたどり着く。その過程を楽しく知れる一冊です。」