もの書きのてびきつづる

「stone歌会」をやってみました。

あけましておめでとうございます。stoneチームです。本年もどうぞよろしくお願いいたします。

新年らしく、「stone歌会」と称して社内でライトな歌会を行ってみました。参加者は、開発担当のデザイナー・Webデザイナーに加えて、コピーライター、カメラマン、プロデューサーと職種も詩歌経験もさまざま。半数は短歌・歌会ともにはじめてです。

stoneで書いた、題詠「stone」と自由詠の2首をあつめ、無記名の状態で一覧にして出力。プロジェクターでstoneの画面も表示しながら、おのおのが惹かれた短歌を3首ずつ選んで評を述べ合うスタイルで楽しみました。

題詠では、「stone」という単語をそのまま使わなくてもよいように設定。ストレートにエディタの「stone」のことを詠むもの、「stone」という言葉から「置石」や「石鹸」、「布石」へと連想を広げるものなどユニークな歌が揃いました。

日常の風景描写に共感の声(「そろそろ石鹸かえどきかな、まだ大丈夫かな、と自分も思う」)があがる一方、メンタルをあやぶむ意見(「まだ大丈夫の“まだ”が怖い」「戻せなくなったときこの人はどうなってしまうのだろう」)も。「使うたび」の“たび”が効いているとの声もありました。

多数が、通勤時の電車遅延にいやけがさして海にいく情景を想像(「自分もこういうとき海に行きたくなる」「置き石によってこの人の人生も社会からすこしはみ出してしまうのでは」)。質感の変化(「固い“置き石”から、やわらかな“ちぎれる”ものにかわり、さいごに液体の“海”になる」)に注目する読みも印象的でした。

自由詠は、各自の趣味嗜好やライフスタイルが色濃く反映。同僚とはいえ、あまり知らない個々人の私生活を、短歌を通じてかいま見るのはなかなか新鮮です。

希望を感じるもの(「パンを焼いたりミルクをそそいだり、明るい生活につながる気配」)と、不穏さを感じるもの(「“わたしたち”の中に、コントロールしきれない他者の存在を感じる。同棲や家族生活の末期のような」と解釈はさまざま。鋭利でなくともたしかに“ナイフ”ではある“バターナイフ”の存在が歌を引き締めています。

さいごには、それぞれの作者を明かして終了。「やっぱり」や「意外!」などの反応も。書くことはおもしろく、書いたものについて言葉を交わし合うのもまたおもしろい。次は「stone句会」にもチャレンジしてみたいところです。