もの書きのてびき聞く

浅野大輝インタビュー「言葉を超えて出会いたい」

あの人に聞いてみたい、「書く」ことの話。今回は、気鋭の歌人・浅野大輝さんを訪ねて、まだ雪の残る仙台へ。浅野さんが設立した東北大学短歌会の歌会にもおじゃまし、詩歌の言葉に触れてきました。

浅野大輝

1994年、秋田県能代市生まれ。2009年、作歌を開始。2012年、東北大学短歌会を設立。2013年、「さみしがりやの生態系」30首で歌壇賞最終候補。2015年、「氷雨」30首で塔短歌会新人賞次席。同年より全国高校生短歌大会(短歌甲子園)審査員を担当。2018年現在、塔短歌会所属。短歌同人誌「かるでら」「かんざし」「Tri」参加。旧仮名。

https://twitter.com/ashnoa

二度目の出会いで、のめり込んだ

短歌との出会いは、本当にたまたま。高校で入った文芸部の先輩に「短歌甲子園※1に出てみない?」と誘われたのがきっかけです。短歌は基本的に「だいたい三十一音であればいい」というくらいの決まりしかないのですが、それでいて奥が深く、だんだんと惹かれていきました。でも、本当の意味で短歌と「出会った」のは、大学に入ってから。笹井宏之さんの歌集『えーえんとくちから』を読んで、衝撃を受けたんです。たとえば、 “「はなびら」と点字をなぞる ああ、これは桜の可能性が大きい” のような一首。「短歌ってこんなこともできるんだ!」と感じて、よりのめり込んでいきました。

笹井さんの歌の魅力のひとつは、言葉遣いがとてもやわらかいこと。言葉に無理をさせていなくて、流れがすっと通っている。それなのに、読んでいて頭がくらくらするほどの詩的強度や広がりがある。そのギャップに魅了されました。「自分でもこんな短歌をつくりたい」と思ったんです。ちょうど全国的に学生短歌会が盛り上がっていた時期でしたが、東北近辺にはそういう場所がなかった。そこで「ないなら、自分がはじめよう」と、東北大学短歌会を立ち上げました。

※1 岩手県盛岡市が主催する「全国高校生短歌大会」の通称。

「共鳴」することで歌が生まれる

歌をつくるときは、「共鳴」を意識しています。短歌は、「わたし」が基本の詩形ですが、その「わたし」は「あなた」がいないと成り立たない。他者や外界とのあいだで生まれるものや、言葉にしてはじめてわかることを大切にしています。僕自身は「短歌で表現したいこと」が明確にあるタイプではないんです。でも、言葉にしてみることで、そこからあたらしく考えはじめることができる。ある言葉が浮かんだら、口に出したり、関連するイメージを探ったりしながら、その言葉と何度も出会うようにしています。「この言葉は何を教えてくれているんだろう?」ということを読み取りたいんです。そうすると、そこに至る言葉の流れがパッと浮かんできたりする。

短歌をつくっているというより、短歌と出会っているような感覚です。一人でつくっているけど、一人じゃない。定型というのも、とてもいいシステムだと思います。遠い昔から洗練されてきた「他者」として定型があり、それと対話することで、自分を超えた表現が生まれてくる。言葉にすることで、思いがけない自分に出会えるんです。

短歌は「歌」なので、やはり気持ちよく、おもしろいリズムであってほしい。たとえば『万葉集』などは、声に出した方が絶対おもしろいんです。活字文化以前の歌は、音を意識して楽しむと、よりあらたな発見がある気がします。人から好きだと言ってもらえる自分の短歌も、口にしたくなるものが多いかもしれません。「日本列島へし折れよ」とか(笑)。

それから “花で殴る それを感情だといへばぼくらがなんども負ける初夏” は、愛唱されているなと感じます。上句の「花で殴る」が6音なので、かっちり定型にはまっている歌ではないんです。でも、「はなで・なぐる」が3音ずつだから、3連符が2回入るようなトントンというリズムで読める。そういう音の操作が独特の速度を生んで、好んでもらっているのかもしれません。好きな歌は他人の歌も、自分の歌も、何度も口ずさんでしまいます。

「光」を求めてしまう理由

僕の短歌には、よく「光」が出てきます。まわりに「光っていたら浅野の歌だ」と言われるくらい(笑)。あらためて考えてみると、秋田県で生まれ育ったのが影響しているのかもしれません。秋田って日照時間が短いから、暗いんです。とくに冬は晴れ間が少なくて、灰色の空がずっと続く。でもときどき、雪なのに晴れている日があって、きらきらしてすごくきれいなんです。そういう、寒い地方特有の気象や風景にとても愛着があります。「光」や「明るさ」に惹かれるのも、そのせいかもしれません。「光=よきもの」としてインプットされている。

最近発表した連作「幻肢」(角川『短歌』2018年2月号)のうちの “生き延びるためにうしなふあかるさよ冬木にあまたの幻肢はゆらぐ” という一首は、ちょうどこのBOOOK※2の前の小径を歩いているときにつくりました。木々を眺めながら、ふと、フレーズが浮かんだんです。この歌は「生き延びることで明るさを失う」のか、「生き延びるために失うことが明るい」のか、どちらとも解釈が可能です。ただ、なんとなく、僕の短歌から「光」が消えることはないような気がしています。たとえ真っ暗闇を詠んだとしても、逆説的に「光」を感じるものになってしまうと思うんです。

※2 東北大学 青葉山東キャンパス内のブックカフェ

すべての言葉は詩になる可能性がある

どんな言葉も、本質的には詩になると思っています。ただ、まだ使い方が発見されていなかったり、文体によっては合わなかったりする言葉もあるかもしれません。たとえば、文語の短歌に「インスタグラム」を使うにはそれなりに工夫が要るし、口語短歌にいきなり「蛙(かわず)」を使うのは勇気が要る。おそらく使いやすいのは、「光」や「湖」など、今まで何度も詩になってきた言葉なんです。そうした言葉を使って、いわゆる詩歌らしさを目指すのもひとつのよさですが、一方であたらしいものを目指す感覚も必要だと思っています。

たとえば、「ドブネズミ」という言葉は、詩の言葉らしくはないかもしれない。でも、「ドブネズミみたいに美しくなりたい」※3とすると、詩が生まれる。「ドブネズミ=きたない」というオートマティックな解釈をせず、言葉を反転させたり、意味を逸らしたりすることで使い方が増えていく。普段の言葉遣いを超える言葉を探していくことで、だんだんと詩の言葉になっていくんだと思います。俵万智さんが、1985年に「野球ゲーム」※4で大きく取り上げられてから、30年以上が経っています。口語短歌が広まることで、「短歌で言いやすいこと」もまた増えてきている。いろんな言葉が詩になる可能性は、より広がっていると感じています。

※3 THE BLUE HEARTSの楽曲「リンダリンダ」の歌詞の一節
※4 第31回角川短歌賞次席となった作品

余白から広がるもの

日頃は、思い浮かんだフレーズや使ってみたい単語をEvernoteにメモしています。そこから短歌になる場合もあれば、詩になる場合もある。書き留めたものを見返して、どこに着地するかを楽しみながら考えるのも、つくり方のひとつです。以前は、原稿を書く際にはMacの標準エディタをフルスクリーンにして使っていました。紙と同じで、何も手を加えられていない真っ白な画面に書きはじめたかったんです。そういう点では、stoneは僕にとっては理想的です。余白がきちんとデザインされていて、自然と「書こう」という気持ちになります。

散文的なものを書くときもそうですが、短歌をつくるときにも余白はとても重要です。旧仮名遣いや詩的表現にいちいち編集記号などが出てくると気が散ってしまうので、機能がシンプルなのも合っています。最近の依頼原稿は、ほぼすべてstoneで仕上げています。2月に『現代短歌』に発表した評論「共鳴する短歌史」もそうですね。依頼にあわせて字数と行数を設定して、脚注などは特定の記号で囲って編集の方に伝えています。やはり、文字が美しく組まれた状態で書き出せるのはうれしいです。「できあがるとこうなるんだ」というかたちが見えてモチベーションがあがるんです。

理系歌人としてのアプローチ

大学では、学部から修士までナノメカニクスを専攻していました。研究内容は、ざっくり言えば光にまつわるごく小さな機械をつくるものです。短歌だけでなく、ここでも「光」を追いかけている(笑)。工学系に進んだのも、短歌を続けているのも、根は「おもしろいものがつくりたい」という感覚からです。それと、僕の評論は緒言が長くなりがちなんですが、これは理系に進んだ影響かもしれません。この背景でこれに取り組むとこんないいことがある、というのをまずハッキリさせたいんです。

この春からは、大学院を修了してシステムエンジニアの道に進みます。実は、穂村弘さんをはじめ、SE経験のある歌人はけっこう多いんです。言語を扱うという意味では、通じるところがあるのかもしれません。『Tri 短歌史プロジェクト』に書いた「数値からみる『サラダ記念日』」という評論も、オープンソースの形態素解析エンジンを利用した自前のプログラムで分析しています。膨大な数の短歌作品を解析にかけることで、一首に含まれる動詞の数の最頻値などが見えてくる。いままで経験則的に理解していた部分についても、データで見るとあらたな発見があっておもしろいです。数値的な分析を取り入れた短歌へのアプローチに、今は興味があります。あたらしいことをどんどんやってみたいですね。

東北大学短歌会 歌会レポート

インタビューのあと、会場を移して、東北大学短歌会の歌会の様子を取材させていただきました。2012年に設立されたばかりの短歌会ですが、全国の大学短歌会が腕を競い合う「大学短歌バトル」でも過去4回中3回本戦に出場するなど、その実力は確かなものです。また、取材当日は、浅野さんを含め、この春卒業を迎える学生たちにとっては最後となる歌会でもありました。

参加者は、東北大学の学生12名に、社会人参加者2名を含めた14名。それぞれ事前に題詠(テーマに添って短歌をつくること、今回は「歌」)と自由詠(自由に短歌をつくること)各1首を提出しており、その中から、各自がいいと思った短歌を無記名の状態で選び、互いに評を述べ合いました。また、取材にあたり、stoneを使用して、話題にあがっている短歌をプロジェクターで表示する試みにもご協力いただきました。

まずは、題詠「歌」の短歌から評がはじまりました。

「穏やかなトーンでつかえず読める。歌のリズムと、ブランコの揺れる感じがよく合っている(佐藤)」
と、まずは韻律のよさがあげられました。比喩については、
「『たとへば』という言葉の使い方が上手い。『たとへば』がないと、『ブランコ』と『鼻歌』の距離が離れすぎてしまう。ブランコは、人が乗るとがちゃがちゃするが、放っておくときれいに見える。これは放っておかれているブランコだろうと思った(佐藤)」
「テンポの速い曲を鼻歌で歌うことはあまりない。ゆっくりと間延びしたような鼻歌の速度と、自然に揺れているブランコの速さのたとえがよく合っている。『晩春』と『朝』にも、これから何かがはじまるような、どこか共通するイメージを感じた(布谷)」
と、「ブランコ(の速さ)」と「鼻歌」、「晩春」と「朝」の対比の巧みさが指摘されました。

「一首が『でも』ではじまっているのが印象的。この前に何かがあって、それでも歌は続いていくんだ、という力強い書き出し。最後は『風の庭』という詩的な世界で締めており、その広がりに惹かれた。自分には書けない。『歌』という題でこういう一首が詠めたら理想的だと感じる(越田)」
と、「歌」という題から飛躍のある表現に対して称賛の声があがりました。評を述べる際には作者名を伏せていますが、短歌会の初代会長である浅野さんの短歌を、新しい会長の越田さんが選んでいた場面でした。

歌会後半では、自由詠の短歌を取り上げました。

「一般的によくないものとされる『嘘』を本気で言うのがかっこいい(坂本)」
「この嘘は、悪意のある嘘というより、良心的なきれいな嘘のように感じた(番澤)」
「大切なのは本気かそうでないかであって、必ずしもやさしい嘘でなくてもいいのでは(佐藤)」
と、まずは後半の「本気の嘘をつこうよ」という表現について意見が交わされました。
一方、「自分は上の句が好きで取った(浅野)」という意見も。
「この『普通に』が普通じゃない。『ドブ川も夜に光ればきれいだな』で終わる方がきれいにまとまるが、そうしなかったところに作者の意図を感じるし、惹かれる(佐藤)」
「この『普通に』は、投げやりな、冷たい言葉だと感じる。そこで一字空きがあって『本気の嘘をつこうよ』という言葉が出てくるところに魅力を感じた(横田)」
など、「普通に」という表現についても話題になりました。

「『添加物まみれの夜』が、雑多な生活を表現していておもしろい。そういう夜には、流れ星ではなく、見えているかいないかわからないくらいの星がちょうどいいというあきらめのようなものを感じた(寺門)」
「詩の言葉の中で、『落ちも流れもしない星』ときちんと言う丁寧さに感銘を受けた。短歌のような短い文芸では、ポエジーに流れる方が簡単だと思うが、現実の星屑は落ちも流れもしない。きれいではない星を、きれいではないものとして提示できるのはえらいと思う(瑞田)」
と、リアルな生活感のある表現や、美しいばかりではない世界と向き合う姿勢を評価する声があがりました。評を通して、各々の詩に対する価値観も垣間見えるようで、印象的なやりとりでした。

歌会の休憩時間には、参加者のみなさんにもstoneを試していただき、それぞれに関心を持っていただけたようです。

散文とはまた違った緊張感を持つ短歌の言葉に触れることで、取材しているこちらまで、言葉に対する感度が上がったように感じられる時間でした。歌会の最後には、浅野さんからのこんな言葉もありました。
「短歌会をつくったことでいろいろな人と会えて、もっと短歌が好きになりました。もっといろいろな短歌を詠みたいと思ったし、上手くなりたいと思うことができました。またいっしょに短歌をやりましょう」
書くことで、自分と出会い、人と出会い、人の言葉と出会いながら、またあらたに書き続けていく。そんな、書くという営みの豊かさをあらためて感じながら、仙台をあとにしました。

BOOK SELECTION浅野大輝さんが影響を受けた7冊

『ウィトゲンシュタイン『論理哲学論考』を読む』野矢茂樹(筑摩書房)

「哲学者の野矢茂樹による、ウィトゲンシュタイン『論理哲学論考』の解説本。ウィトゲンシュタインがどう考えていたのかを生々しく書き出してくれるので、本への理解がより深まります。大事な箇所ばかりで、付箋を貼ったり、書き込んだりしながら読み込みました。」

『えーえんとくちから 笹井宏之作品集』笹井宏之(PARCO出版)

「大学に入って、はじめて自分で買った短歌の本。詩の強度から言葉のやわらかさまで、全部好きです。この本の短歌を真似するところから、僕の歌づくりははじまりました。なにごとも、はじめは真似るところからだと思っています。」

『塚本邦雄』島内景二(笠間書院)

「塚本邦雄の短歌についての解説集。この本がきっかけで、塚本邦雄のよさに目覚めました。僕が旧仮名遣いで短歌をつくるのも、ここからの影響です。解説がある短歌の本を読むのは、重要だと思っています。他人がどう読んでいるかもわかるし、知らない作品にも出会えるから一石二鳥です。」

『短詩型文学論』岡井 隆、金子兜太(紀伊國屋書店)

「歌人の岡井隆と、俳人の金子兜太による評論集。短歌の韻律にまつわる、詳細な論が展開されています。音に関する評論を書こうと思って読み返して、この本にすでに書かれているのに気がつくことも。出版からかなりの年月が経っていますが、そうそう越えられない一冊です。」


『鈴を産むひばり』光森裕樹(港の人)

「短歌にいきづまるたびに開いている、個人的なスランプ脱出のキーアイテムでもある歌集。読んでいると不思議と言葉が湧いてくる、いいとしか言いようのない一冊です。とくに好きな一首は “われを成すみづのかつてを求めつつ午睡のなかに繰る雲図鑑” 。」

『窓、その他』 内山晶太(六花書林)

「歌人の染野太朗さんにすすめていただいた一冊。読んで、みごとにはまりました。肉体感覚のある短歌が、とても魅力的です。好きな歌集は手で書き写すことにしているんですが、この本も全首書き写しました。 “思い出よ、という感情のふくらみを大切に夜の坂道のぼる” とか、とてもいいんです。」

『本は読めないものだから心配するな』管 啓次郎(左右社)

「書評とエッセイが組み合わさったような一冊。 “読むことと書くことと生きることはひとつ。” など、タイトルも含めた一言一句から、ものを書いたり読んだりする勇気をもらえます。余白を生かしたブックデザインも美しいです。」