もの書きのてびき聞く

永井玲衣インタビュー「他者の声とともに書く」後編

あの人に聞いてみたい、「書く」ことの話。前編に続き、今回も哲学研究者の永井玲衣さんにお話を伺いました。後編は、書く道具やターニングポイントとなった原稿についてのお話です。さらに、実際にstoneチームでおこなった哲学対話の様子もお見せします。

Interview, Text:内田 咲希 / Photo:岡庭 璃子

永井玲衣

人びとと考えあう場である哲学対話を幅広く行っている。Gotch主催のムーブメントD2021などでも活動。著書に『水中の哲学者たち』(晶文社)。連載に「世界の適切な保存」(群像)「ねそべるてつがく」(OHTABOOKSTAND)「これがそうなのか」(小説すばる)「問いでつながる」(Re:Ron)など。詩と植物園と念入りな散歩が好き。

偶然の出会いをつかまえる

内田 前編でも触れた文芸誌『群像』などさまざまな媒体で文章を書かれている永井さんですが、書くときのルーティーンはありますか。

永井 私は、文章を書く前にまず本を読むんです。読んだ本の著者と一緒に考えて、その続きを自分が書くイメージ。他者の声が聞こえないと、文章が書けなくなってしまうんですよね。書いている間は、いろんな人の声がしています。哲学対話で出会った人たちの声がわんわん聞こえてきたり、問いが隣にいたりして、結構騒がしいです。ちなみに、ほとんどの文章は朝に書いています。夜は疲れてしまって書けないからというのもありますが、朝の方が人の気配がするので。

私の文章は偶然性にとても左右されます。人やものとの出会いは仕組めないからこそ、それを普段からたくさんつかまえておいて、新鮮なうちに書くことで表現として定着させるんです。だからこそ、ちゃんと気付けるようにしておいたり待ち構えておいたりするのが大切だと思っています。

内田 なるほど。文章を書くために本を読む、というのは少し意外でした。文章を書くとき、ツールは使い分けますか。

永井 ノートに書いていた時期もあるのですが、もうあっという間にいっぱいになってしまって。今は喫茶店にある紙ナプキンに書くことが多いかな。保存方法が分からなくて、そこらへんの棚に積まれています。きちんと整理して取っておく方の保存は苦手で……(笑)。本に直接書いたりメモしながら考えたりすることが多いので、ペンは常に持ち歩いています。こだわりというほどでもないですが、自分のお気に入りのものを見つけていくより、偶然出会ったものを使う方が好きなんです。福島県の南相馬市にある「双葉屋旅館」といういいところがあるのですが、その旅館の方からもらったペンをよく使っています。

読んだ本のフレーズをメモしたいときや短歌などの短いもの、それから、前に話した「適切な保存」を日常の中で急いでしないといけないときは、スマホに入っているEvernoteに書きます。バーッと書いたものが大量にありますね。執筆のときはWordやstoneを使っています。外で書くことも多いので、stoneが持ち運びやすいiPadで使えるようになるのはいいですね。今は家で眠っているのですが、これを機に引っ張り出そうかなと思います。

※取材はiPad版リリース前に行われました。

他者の声とともに書くことの「原点」

内田 先ほどstoneを使ってくださっているというお話が出ましたが、使ってみた印象はいかがでしょうか。

永井 stoneは、話を聞く人数が多いときに使います。難しい言い方をすると「聞き書き」ですね。実は、そのためにstoneをインストールしたんです。数年前に、震災から10年経ったタイミングで複数人の話を一気に聞いて、長文でしっかり書かなきゃいけない機会がありました。そのとき、自分の中であまりにもたくさんの他者の声がしすぎてしまって、ままならなくなったときがあって。一人ひとりの話をちゃんと聞いて、私も一緒に考えた上で書きたいと思ったとき、他のテキストエディタだと手が動かなかったんです。表現というまた別のレイヤーを立ち上がらせることができなかった、と言えばいいんですかね。

いろいろなテキストエディタを調べる中で、たまたま出会ったのがstoneです。「あ、これは絶対かっこいいやつだ」と思って、迷わずに買いました。いいなと思ったのは、目を静かにしてくれるところ。自分の心や頭の中の声に耳を澄ますための静けさがあり、それを画面の美しさや選ばれた書体が支えている印象です。私にとって「書くことは聞くこと」なのですが、真っ白な画面に書いたこと、聞いたことだけがそこに表示されているのを目の当たりにしたとき、ひとりひとりの声が急に聞こえてくるようになって。それで一気に1万字以上書けたんです。自分にとって書くことの明確な分岐点になった原稿だったので、すごく記憶に残っています。

内田 書くことの分岐点になったということですが、今までの書き方とはどう違ったのでしょうか。

永井 たくさんの他者とともに書くことに意識的になり始めた、と言いますか……。ただ質問して答えてもらうのを繰り返すのではなく、一緒に対話をして、一緒に言葉を探して、そこで出てきた言葉を書いた上で、さらに私がまた考えて表現をする、という流れでその原稿を書きました。

私は、哲学対話という場を開いていく中で、哲学にはみんなのものとされてこなかった構造があることに気が付いたんです。例えば、「ごく普通の人の哲学は別に面白くないから聞かなくてもよい」のようなみなし方に、もっと対抗していかなきゃいけないのかもしれない。そのことが見えてきたとき、じゃあ私が話を聞きに行かないとといけないのではないかと感じて。「もっとあなたの話を聞かせてください」「あなたの言葉で聞かせてください」ということを私から言いに行こう、そしてその人たちの声とまた文章を書こう、と決めた原点になりました。

聞き合うことで、私たちは遠くまで行ける

せっかくなので「哲学対話」をstoneチームでやってみたい、とご相談したところ、快く引き受けてくださった永井さん。とある日、stoneに関わるライターやデザイナー、エンジニアなどが一堂に集まり、輪になるところから始まりました。

永井 まず、みなさん「哲学」ってどういうイメージですか?

NDC高柳 難しそうな感じ。お堅いというか……。

永井 お手本みたいな答えをありがとうございます(笑)。でも実は、哲学ってもっとシンプル。私たちは誰もが哲学をすでにしているはずなんです。なんで会社に行かなきゃいけないんだろうとか、いいデザインってなんだろうとか……。ふと立ち止まって考えてしまう営みのことを、私は哲学と呼んでいます。そして、それを真面目にみんなで対話してみよう、というのが哲学対話です。

では始める前に、ここで呼ばれたい名前を決めましょう。いつもの肩書きを脱ぎ捨てて、本名とは違う新しい名前を、自分で自分につけてください。私はどうしようかな、じゃあ今銀座にいるので「ギンザ」で。これくらいラフで構いません。名前を決め終わったら、次はいよいよ「問い出し」の時間です。真面目な問いや切実な問いはもちろん、手のひらサイズの問いも大歓迎。無理に急かすことはしないので、じっくり考えてみてください。

※ここからは、哲学対話の進め方に則って、哲学対話の中の名前で表記します。

ギンザ ホワイトボードがいっぱいになってしまったのでここで締め切りますが、たくさん出ましたね。私はいろいろな場所で哲学対話をしてきましたが、不思議なことに問いがかぶったことがないんですよ。今回はみなさんの投票で決まった「なぜ電車の中で人と話さないんだろう?」について対話していきたいと思います。

ギンザ 私は、哲学対話は「話し合い」ではなく「聞き合い」だと思っているんです。今日は、言いたいことがある人は、輪の真ん中にある鳥のぬいぐるみを手にとってください。持っている間は、その人の時間。たとえ沈黙したとしても割って入らずに、その人の言葉を待つことにしたいと思います。話が終わったら、また別の話したい人に鳥を渡してくださいね。

リカーズ じゃあ、この問いを出した私から。一番最初に思ったのは、ラッシュ時の中目黒駅で電車を待っているときです。人がものすごく近くにたくさんいるのに、みんな黙っているのがなんだか滑稽に感じてしまって。海外だと話しかけられたら自然に他愛ない話ができるのに、都内の混雑したところだと心が無になっていく気がしたのが不思議だなと思いました。

テレビ 自分は海外に住んでいたことがあるので、街中で話しかけられることはよく経験しましたが、正直苦手でした。リカーズさんの意見を否定したいわけではないのですが、近くにいるのにお互いを尊重して入ってこないのは、個人的にはむしろ良いことだと思います。

軟水 電車って、やっぱり「公共交通機関」だから。親が子どもを叱るときも「他の人の迷惑になるから静かにしなさい」ですしね。でも、電車が止まったとか誰か倒れちゃったとか、トラブルがあったときは知らない人同士でも集まって話すのはなんでだろう。

天ぷら 必要なとき以外は話してはいけないと思い込んでいるのかもしれないですね。私も普段乗っているときは「武装モード」だし。

どれみ 確かに、モードの切り替えはあるかも。前に友達と電車に乗っていたとき、横一列に並んでつり革につかまっているときは話さないのにボックス席に座った瞬間に会話が始まって、面白いなと思ったことがあります。「ここは自分たちの空間だ」と認識できると、安心して話せるようになるのでしょうか。

納豆 私はオフにしないと電車に乗れない。どうしても疲れちゃうんですよね。オフにせずにいられない、という表現が近いかもしれません。

ブラック 僕は、電車だと話しかけることはしませんが、銭湯だとたまに話しかけますよ。登山していて人とすれ違うときも、「暑いですね」「そうですね、頑張りましょう」みたいに自然と会話します。空間の開放感が影響しているのかもしれませんね。

軟水 閉塞感がある場所でも、一体感があれば会話が生まれるんじゃないでしょうか?例えばライブハウスでも、たまたま隣になった人と「今の曲良かったですね」みたいに話が盛り上がることはよくあります。ライブハウスは好きな音楽を聴きに来ていて、銭湯もリラックスしに来ていますよね。「積極的に何かをしに来る場所である」というのが会話が生まれるきっかけの一つなのかも。

テレビ みなさんの話を聞いていると「​​コミュニケーションを取れるのは良いことだ」という前提があるように感じるのですが、私は人がたくさんいるのにお互い無関心な状況が好きなんです。なんというか、とても自由を感じますね。

ギンザ 私もそうです。心地良い無関心や干渉されない安心感はありますよね。ただ、例えば誰かが助けを求めていても通り過ぎてしまえる無関心さもあって、そこまで行きすぎてしまうと怖いなとも思います。相手を人とも思えないみたいな領域の無関心さ、みたいな。その境目って何なんですかね。

MP3 お話を聴きながら思ったのですが、「踏み込まれる怖さ」だけでなく「自分が他人に踏み込んでいく怖さ」もありそうですよね。他人と接する中で、心地良く感じられる範囲ってどこまでなんだろう。そう思うと、コンフォートゾーンってとても可変的ですね。

グリコ 知っている人同士でも、どこまで踏み込んでいいかは結構考えます。あと、目的の見えない会話や行動は個人的に怖さを感じますね。得体が知れないから警戒する。

チャーリー ギンザさんが言っていた、無関心のさらに先にある人を人だと思わない世界。みんなが無関心だから自分も無関心でいるというのは確かに楽だし、丸く収まるかもしれないけど、そこは常に疑問に持っておかなきゃいけないんじゃないかなとも思いました。僕も満員電車で心を無にして帰ることは多々ありますが、でもどこかで「これっておかしいよな」と思っていないといけないなと感じています。自分が無関心のその先に行っているかどうか、自覚があったほうがいいんじゃないかと。

ギンザ では時間になりましたので、哲学対話を終わります。特にまとめることもしません。時間が来たら終わる、というのが哲学対話ですから。でも、きっと「程良い距離感ってあるのかな」「なぜ密室だと緊張してしまうんだろう」など、みなさんの中には問いがたくさん残っているんじゃないでしょうか。私は、哲学対話はわからないことに輪郭が付いていく体験だと考えています。私たちは、対話を繰り返すことでこんなにも遠いところまで来ることができました。今日みなさんの間を鳥がたくさん行き来したように、ぜひ周りの方と話の続きをしてみてください。

BOOK SELECTION永井玲衣さんが影響を受けた3冊

『トントングラム』伊舎堂仁(書肆侃侃房)

世界の適切な保存というものを一番うまくやるのが歌人の方だと思っているので、実は憧れがあって。伊舎堂仁さんは不条理な歌を詠むんです。世界があまりにめちゃくちゃで、理解できる範疇を超えていて、ばかばかしくて笑ってしまうようなところがとても好き。ちなみに、一番好きな短歌は「ぼくたちを徴兵しても意味ないよ豆乳鍋とか食べてるからね」です。

『ちくま日本文学全集2 寺山修司』寺山修司(筑摩書房)

高校生の時から何度も読んでいる本。世界に対する向き合い方や、常に文章に問いがあるところが好きです。それから「血は立ったまま眠っている」とか、とにかく文章がかっこいい。寺山修司の短歌もとても好きで、すごく影響を受けましたね。

『われらの時代』大江健三郎(新潮文庫)

大江健三郎は一番好きな作家です。もう何度も何度も買い直して、それでもボロボロになって、の繰り返し。私はもともとサルトルを研究していたのですが、サルトルの影響を受けているのが大江健三郎なんです。超越的な場から全てをまとめあげて書ききってしまうのではなくて、時代や社会の中に根差して言葉を紡いで、探して、もがいていく。そういったところにとても影響を受けていると思います。

THINGS FOR WRITING書く気分を高めるモノ・コト

〈ラジオ〉
最近は、TBSラジオで放送されている荻上チキさんの番組「Session」を移動時間によく聞いていますね。Podcastも好きで、「このトピックについてもう少し知りたいな」というときは、関連するキーワードで検索をしていろいろな番聞いています。