もの書きのてびき聞く

牟田都子インタビュー「校正者として読むこと、書くこと」

あの人に聞いてみたい、「書く」ことの話。今回は、フリーランスの校正者であり、昨年ご自身のお仕事について綴ったエッセイ集『文にあたる』を上梓された牟田都子さんにお話を伺いました。

Interview, Text:髙久 麻里 / Photo:岡庭 璃子

牟田都子

1977年、東京都生まれ。図書館員を経て出版社の校閲部に勤務、2018年より個人で書籍や雑誌の校正を行う。これまで関わった本に『へろへろ 雑誌『ヨレヨレ』と「宅老所よりあい」の人々』(鹿子裕文、ナナロク社/ちくま文庫)、『ラブレター 写真家が妻と息子へ贈った48通の手紙』(幡野広志、ネコノス)、『はじめての利他学』(若松英輔、NHK出版)など。著書に『文にあたる』(亜紀書房)、共著に『本を贈る』(三輪舎)ほか。朝日新聞で「牟田都子の落ち穂拾い」を連載中。

手を尽くして読むと、見えてくるもの

私は15年前に出版社の校閲部で働き始めて、10年前から個人でも仕事を受けるようになりました。「校正者」と名乗っていますが、普段の仕事には校閲と呼ばれるものも含まれます。校正と一口に言っても、書籍や雑誌、新聞など、対象はさまざまです。私の場合、5年前にフリーランスになってからは、文芸書や人文書と呼ばれるジャンルの仕事が9割を占めるようになりました。基本的には、書籍一冊のゲラ(校正刷り)をお預かりして、1、2週間かけて校正・校閲して納品するという形で働いていますが、定期刊行物の仕事もあるので、お引き受けできる書籍の校正はだいたい月に2、3冊ですね。

正直に言うと、自分が校正者に向いているとは全然思っていないんです。というのも、出版社で働いていたときに、校正をするために生まれてきたような人たちを大勢見てきたので、そういう人たちと比べると自分に適性があるなんてとても言えない。「他に食べていける仕事があれば、今すぐ辞めるのに」と思うときもあります(笑)。けれど、この仕事をしているからこそ受け取れた本の価値もあります。例えば、普段の読書では、読みにくいところは飛ばしたり、知らない言葉が出てきてもいちいち辞書を引かずに類推したりしますよね。ところが校正の仕事では、一冊の本を一文字一文字読んで、書かれているすべてのことを理解する必要がある。一冊の本を2週間かけて読んでも、まだ時間が足りないんです。そういう風に手を尽くして読むことで、同じ本でも見えてくるものがまったく違うということを、この仕事を通じて知りました。

著者への敬意をもって校正する

校正は、間違いを探す仕事だと思われがちです。私自身もこの仕事を始めるまではそう思っていました。もちろんそういう側面もあるのですが、誤字脱字のようなわかりやすい間違いって、実はごくわずかしかないんです。どちらかと言うと、「これは鉛筆を入れる※1べきなのかな」と迷うことのほうが圧倒的に多い。例えば、語順の入れ替えや言葉の変更などを提案したら、著者が一生懸命考えて選んだ表現を崩してしまうかもしれないですよね。そういうことを想像しながら、10万字や20万字を読んでいくんです。特に私が担当している文芸書や人文書というのは、書かれた文章が著者の生き方に直結していることが多いので、著者への敬意がないと校正するのは難しいと思います。軽はずみな態度であれこれ言うことが、著者の生き方にけちをつけることになりかねませんから。

また、校正に対する姿勢ひとつとっても、著者への敬意を持っているかがわかってしまう気がします。例えば、固有名詞や数字といった事実関係のチェックをするときに、「著者が間違っている」と最初から決めつける校正者と、「著者は正しいはず」と信じる校正者では、調べ方が変わってくるんじゃないかなと。調べた結果ミスを見つけたときに「やっぱり著者が間違っていた、仕事をしたぞ」と思う人には、もう少し著者を信じてほしいですね。もしかしたら、その著者は別の資料をもとに原稿を書いていて、そちらに照らせば間違っていないかもしれないですし。

校正って、対人コミュニケーションなんですよね。ミスをひとつひとつ潰していくだけの仕事なら快感が生まれると思うんですけれど、そうじゃないんです。物としての本は、大量生産で工業製品に近いかもしれない。その一方で、本の中に書かれている言葉というのは、決められた形の通りにつくればいいわけではないんです。大切なのは、著者の言いたいことを理解して、赤字を通じて話すこと。それが校正という仕事の大部分を占めているんじゃないかと思います。

※1 ゲラに疑問や指摘を書き込むこと。

書きたかったのは、「先輩」のような本

『文にあたる』は、お付き合いの長い編集者の方に声をかけていただいたことがきっかけでできた本です。その方は、ゲラの受け渡しのときに直接会いに来てくださるので、仕事以外の雑談もよくしていて。その中で、「若い人にもっと本を読んでほしい、辞書を引いたり図書館へ足を運んだりして調べることの面白さを知ってほしい」というお話をされていたのですが、そういったことを校正という切り口で伝えられないかということで、ご依頼をいただきました。

原稿を書いていくうちに、校正の仕事を始めたばかりの方に読んでほしいという気持ちが強くなっていきました。私は30歳で校正者に転職したのですが、最初は決して出来のいいほうではなかったんです。私の職場は校閲部でしたし、校正が上手い方やベテランの方が大勢いました。早く一人前になるために先輩たちに教えを請えばよかったのですが、当時の私にはそれができなかった。そもそも、わからないことだらけで、何から聞けばいいのかすらわからなかったんです。そこで、校正の仕事について書いてある本に助けを求めようとしたのですが、見つけられなくて。その後、なんとか5年、10年とこの仕事を続けてきましたが、その体験がずっと頭に残っていました。なので、『文にあたる』は校正の技術的な面だけを語るのではなく、「校正とはこういう仕事なんだよ」とわかりやすく話してくれる先輩のような本をめざしたんです。

『文にあたる』の校正は、担当編集者の方が信頼しているフリーランスの方にお願いしました。校正者が書いた本の校正は、きっとやりにくかったと思います(笑)。けれど、その方はすばらしい校正をしてくださって。さきほど著者への敬意のお話をしましたが、そういうものを持ってらっしゃる方なんだろうなというのは、ゲラに入れてくださった鉛筆から想像できました。赤字の数が絞られていましたし、言い回しや句読点の位置には触れずに、書名の確認や言葉の使い方などの指摘にとどめてあったんです。鉛筆を書いて消した跡もゲラに残っていました。

著者として本を丸々一冊校正していただいて実感したのは、著者と編集者だけではなく、校正者という第三者の視点で文章を見てもらって、意見を聞くことの大切さです。誤植や事実関係の誤認だけではなく、「自分の意図と違う受け取り方をする読者がいる」「自分にとって当たり前のことが世間では通じない」という事実に気づけて、書き方を変えることができる。『文にあたる』でも、校正の方から指摘を受けて段落ごと書き直した箇所があります。世の中には、予算やスケジュールの都合で校正を省いて出版される本もありますが、校正者がいると思考が深まることはあるので、必要な存在だと思います。

校正も執筆も、ダイニングテーブルで

文章を書く仕事は、一番頭が冴えていて集中できる朝に取り組むようにしています。もともと朝型なのと、ランニングのために5時半ぐらいに起きていた時期もあり、早起きは得意なんです。今は家族がだいたい7時半に起きてくるので、その前に起きて1時間ぐらい文章を書いて、それからランニングをして、帰ってきたらお風呂に入って家事をして、家族が出勤したら校正の仕事をしています。

普段は自宅のダイニングテーブルで仕事をしています。校正をするときはゲラを広げて読んだり、文章を書くときはパソコンを開いたりという感じです。仕事のための部屋ではないけれど、お気に入りのテーブルや椅子があって、大きな窓がある。家のそばには公園があって、緑が見え、鳥の声が聞こえてくる。今の自分は、すごく心地のいい環境で仕事ができていると思います。あと、人によっては音楽を聴いたり、映像を流しながら読んだり書いたりできるみたいですが、私はそれができなくて。集中したいときはAirPodsのノイズキャンセリング機能をよく使っています。

中学生のときに父のお下がりのワープロをもらって以来、書くツールに関してはずっとデジタル派です。今はMacBook Airを使っていて、エッセイや新聞連載といった世の中に発表するような文章を書いています。手書きで何かを書くのは手帳ぐらいですね。一日1ページのタイプを10年以上使っていて、主に仕事のスケジュールを書き込んでいます。

余計なことができないから、心地よく書ける

stoneを知ったきっかけは、Twitterだったと思います。リリース直後にどなたかが購入したとツイートされていて、気になって私もすぐに購入しました。それ以来、書く仕事では主にstoneを使っています。最近はstoneで書いて、文字数の指定がある場合は物書堂のegword Universal 2で何字×何行という設定をつくって文章を流し込んで、文字数を調整してからWord形式に変換して提出しています。

stoneは、縦書き入力がきれいにできるところがすごく気に入っています。なるべく本と同じ見た目で文章を書きたいので、縦書きができるソフトをいろいろと試していたのですが、今までなかなかいいものが見つからなくて。あと、機能が多すぎて画面がごちゃごちゃしているソフトを使うのもストレスだったんです。なので、stoneの機能の少なさが逆にとてもよかった。あれこれ機能がついていると設定をいつまでもいじってしまうのですが、stoneは余計なことができないので、書く時間が増えたし、ストレスも大幅に軽減されました。機能面は他のソフトと併用することで補えるので、個人的には今の環境がほぼパーフェクトです。価格に関しても、私は全然高いと思いませんでした。過去にもっと高価なソフトを購入しても使いこなせなかったので、4,000円ぐらいで心地よく書ける環境が手に入るのであれば、むしろ安いと感じます。

最近仕事用にiPadを導入したこともあり、stoneのiPad版の発売もすごく楽しみにしています。開発中のものを少しだけ触ってみましたが、書く体験としてはMac版とほぼ同じで違和感がないですね。iPadだとフルスクリーンで使うことも多いと思いますし、そうなるとよりまっさらなノート感が出て、書くことに集中できそうです。私はカフェで文章を書くこともあるのですが、MacBook Airはちょっと重いし、かと言ってiPhoneだと画面が小さすぎる。そんなときに、iPadなら気軽に持ち歩けますね。

有名作家に学んだ、書くことへの姿勢

私は、書くのに時間がかかるほうで。『文にあたる』も、「書きたいものが書けたら送ってください」というご依頼だったので、出版までに結局6年ぐらいかかりました。文章を書くときは、まず頭の中でぐるぐる考えて、いけそうかなと思えたらようやく書き始めます。

書くことに煮詰まったときは、時間をかけるしかないですね。校正の仕事は、一度ゲラを閉じたら「今日の仕事はもうおしまい」と気持ちを切り替えられる。その一方で、書くという行為は、実際に書いているとき以外も続いているんじゃないかと思うんです。ご飯を食べながら、家事をしながら、猫に餌をやりながら「何を書こう」「どう書けばいいんだろう」と、ずっと考えているというか。けれど、いくら考えていても、いざパソコンの前に座ると書けないこともあります。そういうときは、次の日も同じようにパソコンの前に座るしかない。これは村上春樹さんの影響ですね。村上さんは、「一に足腰、二に文体」といって健康でないと書くものも書けないからマラソンをして、毎日同じ時間に起きて、同じ時間に机の前に座っているそうです。私は専業作家ではありませんが、村上さんの考え方には共感する部分があり、真似しています。

今、『文にあたる』の担当編集者の方と2冊目の本をつくろうという話をしているのですが、どういう本になるかはまだ全然決まっていません。読む方がそれなりの時間とお金を割いてくださるわけですから、読んでよかったと思えるものを書きたいし、もっとうまく書けるようになりたいですね。

BOOK SELECTION牟田都子さんが影響を受けた4冊

『Arne 10号』大橋歩(イオグラフィック)

好きな作家がどんな道具を使っているのか、どんな家に住んでいるのか、とても興味があって。これは大橋歩さんというイラストレーターの方がつくっていた雑誌なのですが、その中で村上春樹さんのご自宅を取材しているんです。翻訳をするときのデスクのセッティングやご自分の著書だけを集めた書庫、レコード用の作りつけの棚など、よそでは見られないいろいろな写真が載っているので手放せないですね。

『精選女性随筆集 第一巻 幸田文』川上弘美編(文藝春秋)

幸田文は、私が唯一全集を持っている作家です。とにかく文体がすごく好きで、ずっと読んでいられる。こんな風に書けたらいいなと思う、絶対に登頂できない山みたいな存在の作家です。彼女が取り上げる題材は、身の回りのことが多いので共感できるし、生きるということが文章に直結していて誠実さを感じます。この本にはいろんな文章が収録されていて、年表もついているので、幸田文入門におすすめの一冊です。

『校正の散歩道』古沢典子(日本エディタースクール出版部)

岩波書店の校正課にいらした方が書かれたエッセイ集で、『文にあたる』を書いていたときにずっと頭の片隅にあった本です。40年以上前の本なのですが、校正に対する考え方というのはいつの時代も変わらないんだなと。例えば、「校正は結果のみを問われる仕事です」。これは本当にそうで、だから辛いんですけれど(笑)。校正という仕事を知りたい方にぜひ読んでいただきたいです。

『悲しみの秘義』若松英輔(ナナロク社)

批評家・随筆家の若松英輔さんとは不思議なご縁があり、今まで30冊近くのご著書を校正させていただきました。若松さんは読むことと書くことを一対の行為だと考えていて、この本にもそういった話が出てきます。校正をするときは普段の読書とは違う深度で文章を読むので、担当した著者からは大なり小なり影響を受けるものだと思います。私にとっては、若松さんがそのひとりです。

THINGS FOR WRITING書く気分を高めるモノ・コト

〈ハンドクリーム・ローション〉
書くときに手がかさかさしていると気になるので、ハンドクリームをつけています。よく使っているのはラベンダーの香りのものなのですが、香りが控えめなところがちょうどよくて。あと、目を使いすぎて疲れたときは、マッサージ用のローションをこめかみにちょっとつけてほぐしています。LEAF&BOTANICSとMARKS&WEBのアイテムは、パッケージがきれいなところも気に入っています。

〈本〉
文章を書く合間に、写真のきれいな本をぼーっと眺めるのが好きです。今日は、堀井和子さんという料理研究家の方が書いたテーブルコーディネートがテーマの本を持ってきました。私は、日常の景色や普段使う道具って、できる限り美しくあってほしいんです。だから、こういう本を見ていると「こんな生活をしたいな、こんな場所で仕事をしたいな」と妄想が膨らむし、幸せを感じますね。