もの書きのてびき聞く

鳥海修インタビュー「文字をつくる、生活をつくる」

あの人に聞いてみたい、「書く」ことの話。今回は、游書体など数々の書体づくりに関わるだけでなく、一年かけて自分の仮名をつくり、それをフォント化する塾「文字塾」を主催されている書体設計士の鳥海修さんにお話を伺いました。

Interview, Text:内田 咲希 / Photo:岡庭 璃子

鳥海修

1955年山形県生まれ。(有)字游工房の書体設計士。同社の游明朝体、游ゴシック体、(株)SCREENホールディングスのヒラギノシリーズ、こぶりなゴシックなど100書体以上の開発に携わる。字游工房として2002年に第一回佐藤敬之輔賞、ヒラギノシリーズで2005年グッドデザイン賞、2008東京TDC タイプデザイン賞を受賞。2022年dddギャラリーで個展「もじのうみ」を開催。著書に「文字を作る仕事」(日本エッセイスト・クラブ賞受賞)、「本をつくる」(共著)がある。私塾「松本文字塾」塾長。

「水のような、空気のような」を追い求めて

書体設計士というのは、私がつけた名前なんです。タイプデザイナーとか書体デザイナーとか、あとタイプフェイスデザイナーとか。いろいろな言い方があるんだけれども、私は英語が全然だめなので、日本語に置き換えて「書体設計士」というふうにしました。

「設計」というのは、結構当たっているんじゃないかと思っています。感覚も当然必要なんだけれども、文字には骨格があるわけじゃない?そこにエレメントという着物を着せていくイメージ。例えば、和服を着るのか洋服を着るのかで雰囲気が変わるし、骨格だって背の高い人もいるし低い人もいる。そういったところは、少し工業的なニュアンスがあると思います。だからうまい具合にやるとね、特に漢字はAIで組み立てていくことは可能かもしれない。ルール化されているような気がしますよ。すぐにというわけにはいきませんが、研究すればある程度できるんじゃないかな。

多くの書体デザイナーは、おもしろい書体をつくろうとしていると思うんです。ただ、そうなるとどんどんあざとく、わざとらしくなっていってしまう。私はね、おもしろくない書体をつくることに魅力を感じているんですよ。つまり、余計な感情を文字に乗せない、自然に人の目や頭に入っていく、読むための文字。よく私は「水のような、空気のような」と言うのですが、文字を見ているのではなく言葉を読んでいるんだ、という感覚になる文字をつくりたいんです。

自分のかたちを探しつづける

私はもともと車が好きで、大学では工業デザインを勉強したかったんです。でもグラフィックデザイン学科にしか受からなくて、結局そこに入ることになりました。ところが、海と山と田んぼしかない山形ののどかな土地で育ったもんだから、グラフィックデザインって何?って感じで。そもそもピンと来てない。それに当時は特に公害問題が深刻だったから、車をつくるにしろ宣伝するにしろ、そこに加担するようなものには興味があまり持てなくて。だから、ひどい話なのですが、取りたい授業もなかったんです。

その頃の私は、グラフィックデザイナーの卵としては文学好きだったんですよ。恥ずかしいんだけど、要するにそこに逃げたところがある。それもあって、書体デザインの授業を取ったんです。授業ではいろいろなところに見学に行くのですが、毎日新聞社に連れて行かれたとき、そこで活字をデザインしている世界を知りました。それまでは、自分が新聞や小説を読んでいるときの活字を人がつくっているなんて思いもしなかった。カタカナを1字、8cmくらいの大きさで書いている人がいて、それ何ですか?って聞いたら「活字のもとだよ」って言われて。衝撃でした。そのとき毎日新聞社を案内してくれていたのが、小塚昌彦さん。小塚ゴシックなどの書体をつくった方で、彼は「日本人にとって文字は水であり、米である」と言ったんです。そのときのことは、本当によく覚えています。デザインという仕事の中に、まだあまり認識されていないものがあるということ。それを知らないで、私は小説や新聞を読んで情報を得ている。こういう世界があるということにものすごく衝撃を受けたし、私はその瞬間、この仕事がしたいと思ったんです。

読書好きだったこともあって、私は写研※1に入ってすぐの頃から読むための文字、つまり本文書体に興味がありました。先ほども話に上がりましたが、当時から本文書体の理想は「水のような、空気のような」文字だと言われていて。それを知って、私はなるほどって腑に落ちたんだけど、この業界の先輩たちはそんなのあるわけないって言うのね。人がつくる以上、そんなものはないって。でも、私はあると思っているんです。皆さんが水のような、空気のような書体をつくろうと思ったら、それぞれ別の、水のような、空気のような書体が生まれてくる。私にとってのそれは、私が育った環境であったり、両親や兄弟のことであったり、友人や会社の先輩たちの教えであったり、あとは文字の歴史とか、そういうものがないまぜになって生まれてきたもの。誰もが持つ思想や感覚が、その人にとっての水のような、空気のような書体につながると思うのです。自分のかたち、自分の書体を探してみる。それを伝えたくて、今「文字塾」をやっています。

※1 写真植字機・専用組版システムの製造・開発、書体の制作などをおこなう企業。

身体も文字も、行ったり来たり。

2年くらい前に長野に移住したんですが、慣れると家でもすっと集中できるようになりました。飽きたら畑仕事やったり芝刈り機動かしたり、そんな感じ。いいでしょう。東京では、よく喫茶店で書いていました。やりやすいところに行くというか、自分が動くことが多いです。長野では、早朝の外ですね。家の中ではあるけど、仕事部屋ではなくウッドデッキに移動したりとか。文字をつくるのはいつでもいいんだけど、文章を書くのは朝ですね。寝ていて、起きたときに書き出しをはっと思いつくこともあるので。だからといって、うまく書けるとは限りませんが…。

文章は、日常的に書いていたわけではないんです。昔、『千都NEWS』※2や平野甲賀さんがつくっていた冊子でいくつかは書いていたけど、夏休みの読書感想文とかほんとに嫌いだったし…。でも、『文字を作る仕事』という本は比較的すんなり書けました。「水のような、空気のような」って一体どういうことなんだろうかというのを、自分のこれまでを含めて振り返りながら考えたいと思っていたタイミングだったのもあって。だけど、書き慣れているわけではないのでね。パソコンで書いて、それをスマホでも読めるようにして、電車の中で書いたものを読んで、その場で修正して、というのを毎日のように繰り返していました。長い文章を書くときは、友達にInDesignでフォーマットをつくってもらって、直接そこに打っていくこともあります。stoneもそうですが、レイアウトされた状態だと出来上がりがある程度見えてイメージしやすいですね。

※2 1990年代後半に大日本スクリーン製造が発行していた、デジタルフォントとヒラギノを中心としたフォント製品情報、および組版見本等を毎号特集した冊子。

縦書きの文字は立っている

6年くらい前に、stoneが游書体を採用していることをたまたまどこかで知ったんです。本当にうれしかったです。縦書きがあるのもいいですね。ちなみに、游明朝体は「縦組みで長い文章を読むための書体」がコンセプトでした。かなは、実は秀英体をベースにしています。ひらがなは筆の運びが縦に流れるのですが、仮名の曲線というのは実は感情表現でもあるんです。感情が出るからこそ、組んだときのきれいさとは別の、読みやすさがものすごく重要になってくる。そういったところをすごく意識してつくりました。個人的には、游明朝体は縦に組んだほうが圧倒的にきれいに感じます。

例えば、この「たのしい」という字。「た」は四角くて、「の」は曲線をすーっとまるく、「し」は細長く、「い」でちょんちょん、って感じ。縦だとひと続きというか、柱がある。文字が立っているんですよね。なんか、こっちの方が本当にたのしそうに見えませんか。

stoneは構造もシンプルだし、そのおかげで使いやすい。フルスクリーンで見ると、iPad版は特にすっきりして見えますね。悠然とする。

もし私がstoneに書体をつくるとしたら、機能に沿ってそれを生かした書体を開発するかなと思います。例えば、オプティカル・スケーリングという考え方で、使う文字のサイズごとに最適化したデザインにするとか。要するに、文字が小さくても大きくても読みやすい、読みやすさ特化型デザイン。さらに、それぞれのサイズごとにある程度の太さの変化もつけられるようにした書体がいいのかなと思います。でも、それをやろうとして計算したとき、これは生きているうちにはできないやって思ったんです。膨大すぎるから。私がやりたいのは、弱視者から晴眼者まで全員がちゃんと読める文字にもっと近づけること。この文字を「読みやすい」と感じる人の幅を、もっと広げたい。それと、この書体を持っていれば読みやすい画面が作れる!というような、指針になる書体をつくりたいんです。それをみんなが経験することによって、「AかBだったら、Aのほうが雰囲気に合うよね」みたいに、徐々に選択肢が増える。そうすると、何千もある他の書体も生きてきて、書体の世界がもっと豊かになるかもしれません。

文字も、生活も、続いている

最初に「漢字はAIで組み立てていくことは可能かもしれない」という話を少しだけしましたが、この間、「鳥海さん、AIは脅威ではありませんか」って言われたんですよ。それでね、「AIは走らないし汗をかかないから、できることは限られているんじゃないですか」って返したんです。書体をつくるのでも、漢字を組み合わせて拡張するというのはある程度までは行けると思うのね。80点が合格ラインだとしたら、おそらく75点ぐらいまで行くんじゃないかなと思う。そこまで行くとね、つくるスピードがすごく速くなる。そういうことがもう少し効率よくできるようになったら、それでいい書体がいっぱい生まれるんだとしたら、いいんじゃないかな。要するに使いようですよね。

でも同時に、あと5点は人の感覚を取り入れながら、最後の詰めをやらなくちゃいけないんだろうなとも思います。やっぱり生きている人がつくるから、個性というのはどうしても滲み出るもの。ただ、それをどう生かすかが難しいんですよね。小手先のことではなくて、きっと自分の生活であったり、生きている感覚であったり、そういうものがみんな一緒くたになって、その個性をつくっていると思うので。だからね、終わらないんです、ずっと。書体をつくるということの完成形みたいなのがね、ないの。突き詰めても、突き詰めても、自分が変わればきっと文字も変わる。私はそこがおもしろいと思う。生活なくして文字はないということですよね。文字も、生活も、地続きですから。

BOOK SELECTION鳥海修さんが影響を受けた6冊

『装幀の本』平野甲賀(リブロポート)

平野さんは、私に「書き文字ができるのは、おまえらがちゃんとした活字をつくっているからなんだよ」って言ってくれた人です。あと、もちろん文字もそうなんですが、平野さんはレイアウトがめちゃくちゃかっこいい。私の『文字をつくる仕事』も平野さんにお願いしたんだけど、そのときは「なんかさ、ちゃんとやろうと思うほどさ、うまく行かねえんだよ」って言っていました。

『宮沢賢治詩集』宮沢賢治(岩波書店)

学生の頃、『雨ニモマケズ』を読んでさ、泣いたんだよね。これは解説が谷川徹三さんって、哲学者で谷川俊太郎さんのお父さんなんです。「本づくり協会」の企画で谷川さんの詩のために書体をつくることになって俊太郎さんと会ったときに、徹三さんの書いた字を見せてもらったこともあります。なんかちょっとだけ縁を感じたりしましたよ。

『角川書道辞典』(KADOKAWA)

漢字の篆書、隷書、草書、行書、楷書、それに上代様仮名を一文字ずつ見ることができる辞典です。例えば「り」と「わ」は、かなのかたちが意外と似ていておもしろいですよね。文字にかかわる人やデザインをやる人は、全員これを持っていてほしいなと思います。

『日本文化私の最新講義 宗達絵画の解釈学 ─『風神雷神図屏風』の雷神はなぜ白いのか』林 進(敬文社)

これは最近の私の先生です。かんたんに言うと、嵯峨本という日本の近世初期に行われた古活字本の歴史にひとつの新しい説を提案している本。本阿弥光悦と角倉素庵と俵屋宗達の関係性をたった一枚の手紙から読み解いていて、読んでいるうちに点と点が全部つながってくるのがおもしろい。

『つりおとした魚の寸法』中川一政(講談社)

『つりおとした魚の寸法』っていいでしょう。こういうことが必要だと思うんですよ。要するに、「何センチだった」じゃないんだよ。『つりおとした魚の寸法』って、やっぱりつりおとしたら大きいじゃない?それを想像するしかない。きっと大きかったんだって、考える。そういうことがすごく大事だと思います。

『漱石全集』夏目漱石(岩波書店)

漱石は学生の頃にはまりました。岩波書店の漱石全集は総ルビなんですよ。それが好きだったんですよね。全集だから他にもたくさんあるんだけど、昔はそれを1冊しか買えなくて。今は小さいのが出ているので、今回はそれを持ってきました。

THINGS FOR WRITING書く気分を高めるモノ・コト

〈コーヒー〉
コーヒーは1日、朝と昼に2回飲みます。自分で焙煎して、それを挽いてから淹れるとやっぱり美味しい。ちょっとした喫茶店みたいなんです、うち。すごくいいですよ。

〈ラジオ〉
文章を書くときは静かな方がいいけど、文字をつくっているときはずっとラジオをかけていますね。私はAM派です。落語なんかもよく聞きます。